コーヒーの香り

私はコーヒー好きである。夫も結構好きなほうで、休日は自分からコーヒーを淹れてくれるときもある。休日出勤の日で、打ち合わせが長引く日は、ポットにコーヒーをいれてもっていくこともある。

以前はすでに挽いてある豆を買っていたが、安い電動ミルをみつけたので、
それからは豆で買って飲んでいる。ちょっと手間だが、ミルを買って間もないころは、やはりひきたてはおいしいなと思っていた。
でも、当たり前だが、挽きたてならばなんでもいいというものではないと最近気づいた。挽き加減、お湯加減、もろもろ影響があって、その時その時微妙に味が変わる。それも手作りの良さという面もあるが、やはりまずい日もある。挽いて淹れて味わって(体験)−おいしい、まずい(感じる)−なぜだろうと考える(分析)−挽き方かな、では、少しミルにかける時間を短くするか(仮説)と工夫しながらコーヒーを飲むのも、手間をかけて飲む醍醐味なのではないかと思う。そうは言うものの、だんだんマンネリになり、この頃はいい加減に淹れている私である。

そのうえ、うちの夫は、まったく無頓着で、これだと思った方法から脱却しない。いろいろアドバイスするが、「まかせとけー」の一点張り。自分が持っていくポットに入れる分は、量がふえるのでますます大味になる。さりげなく「自分のぶんだけでいいよ」と言っているのに、「たくさん淹れて余ったから飲んでくれ」という。やってくれるのはありがたいが、だんだん有難迷惑になってくる。息子は、「このコーヒー誰が淹れたの?」と聞いてくる。最初は何でそんなこと聞くのかと思ったが、父親の淹れたのは飲まないようにしているらしい。なんと姑息なやつ。

夫は、コーヒーを淹れるのがおもしろい(体験)と思ったまではいいが、これこそやりっぱなしの人である。息子は、飲んで、感じて、分析して、誰が淹れたかを判断すればいいという仮説に基づいて行動しているが、自分でやろうという試みの体験がないやつ。

こうしてみると、私自身は本来の私のキャラではありえないはずの指摘、分析を丁寧にやる人間に思えてくる。
我が家の3人ともおおむねいいかげんな奴なのだが、事柄により補い合うことが、家族というチームがうまく機能していく秘訣だろう。
これを読むと、2人は、私のことを自分が一番やりっぱなしだろと反論するだろうが・・・たぶん見ないということで、わたしの都合のよいように書かせてもらっている。
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